アフリカ友の会

活動紹介

概要

当会の活動内容

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HIVに感染したエイズ孤児と徳永代表

特定非営利活動法人NGOアフリカ友の会
最貧国のひとつといわれる中央アフリカ共和国において、HIV感染者・栄養失調者・生活弱者などの支援、HIVの感染拡大防止などを目的に、1993年1月首都バンギ市ブエラブ地区に「アフリカ友の会ブエラブ保健センター」を設立しました。
中央アフリカ共和国は、赤道直下の内陸国で社会的経済基盤もまだ十分に整備されておらず、度重なる内戦、更には2012年からの内戦により、人々の貧困・病気などの問題は更に悪化、食糧・医療・社会福祉などあらゆる面で、緊急な
支援を必要としています。

《活動内容》
☆医療支援・・・診療・重症患者の訪問診療・抗エイズ薬の投与
☆栄養支援・・・給食サービス・食糧配給
☆生活支援・・・洋裁支援・農業支援
☆エイズ孤児支援・・・生活/就学支援
☆教育支援・・・貧困で学校に行けない子どもたちへの小学校教育の実施

*2015年9月現在、内乱の影響により以下の活動を休止しています
★啓発教育・・・保健指導員の養成・家庭訪問によるHIV感染防止教育
★生活支援・・・マイクロクレジット
★教育支援・・・貧困で学校に行けない子どもたちへの小学校教育の実施


HIVエイズ・結核患者を対象とした診療及びケアについて

経緯

①-1診療所
『経緯』:アフリカ友の会の設立の目的は、中央アフリカ共和国のHIVの感染拡大を止めることであった。1993年1月より首都バンギのブエラブ地区で活動を開始した。

国立のブエラブ保健センターの敷地内に事務所を建設(日本大使館からの支援金)することから始まった。最初に行ったのは、ブエラブ保健センターで働く看護師・助産師にHIV/エイズのセミナーを行い、彼らが正しい知識を持って予防のための啓発教育や診療に当たるようにした。HIV/エイズセミナーは、他の保健センターの看護師・助産師まで拡大をした。

 

エイズ患者の診療

活動開始当初から、事務所にエイズ患者が来るようになった。彼らは口々に「エイズ患者の面倒は誰も見てくれません。私はどうすればいいですか」と言った。アフリカ友の会は、予防を目的としており診療活動は全く考えていなかった。しかし、連日助けを乞う患者が事務所の前に座り込んで動かないことがあり、診療活動の必要性を感じた。診療活動を行うためには、医師・看護師などの医療スタッフ、診療所が必要であり準備が必要であった。幸いに、当時はボランティア貯金(旧郵政省)の助成金で人件費の一部負担が可能であり、会員や賛助会員からの支援金を診療所の建設費に回すことができた。1994年からエイズ患者の診療を開始。診療所が完成するまでは、家庭訪問をして患者の診療を行った。1995年に診療所が完成し、本格的に診療を開始した。外来診療と重症患者に対しては訪問診療を現在も継続している。
1994年から累計HIV感染者の登録数は、11,792名である。1994年97名、最も多かったのは2003年1710名である。2013年512名、2014年230名であった。
2006年から「世界基金」の支援によりエイズ患者にARV(抗レトロウイルス剤の治療)が始まり、エイズは死の病から、延命できる病へと変わった。
ARV患者登録数
2011年246名、2012年254名、2013年172名、2014年155名であった。

 

結核の治療

結核は、エイズの日和見感染で最も多い疾患である。肺結核は空気感染し、感染力が強い疾患であるが、特効薬があり6か月間の内服治療で完治する疾患である。結核患者の30-40%はHIV陽性者である。結核の治療薬も「世界基金」からの支援があり治療費は無料である。①-2結核棟 -2
アフリカ友の会は、結核患者専用の外来棟があり、結核患者の診療(診察、喀痰検査、内服薬の投与、生活指導など)を行っている。2013年の政変以来、新規登録の結核患者数は毎年700名を超えている。2012年723名、2013年728名、2014年714名である。
結核の治療は、6か月間、毎日薬を服用することであり、治療の中断がないように患者をケアすることが最も重要である。治療を完了し治癒する患者は90%を超えており、最も治癒率の高い診療所として保健省から賞賛を受けている。治療を中断する理由としては家族に不幸があり村に帰省し数か月過ごす、長距離トラックの運転手で診療所に来ることができなかった、農繁期で診療所に来る暇がなかったなどであるが、病識の不足が治療中断につながっており、患者指導をさらに充実させる必要がある。
また、結核は消耗性の疾患であるため十分な栄養が大切であるが、貧しい患者たちは十分な食事を摂ることができない例も多い。WFP(世界食糧プログラム)から食糧配給支援を受けていた時期があるが、現在は中断されている。

 


 

栄養失調児のケアについて

②-1 栄養 この子を救うことから栄養失調児のプロジェクトが始まった

経緯

診療所を開設し、エイズ患者を中心に診療を始めると栄養失調児が診察に来るようになった。1995年当初は、7-8名の栄養失調児のために給食サービスを開始した。栄養失調児が集まってくるようになり、1997年に栄養失調児センターを開設した。栄養失調児の中には、HIVの母子感染児が含まれていた。母子感染児は、肺炎、胃腸症状などを併発し全身が徐々に衰弱していった。このような子どもたちは、国立小児病院に搬送し専門医の治療を受けさせた。

栄養失調児センターの活動

栄養失調には、蛋白質が不足するクワシオコールとすべての栄養素が不足し、骨と皮に痩せてしまうマラスムがある。アフリカ友の会のセンターでは、クワシオコール児7割、マラスム児が3割である。
クワシオコールとマラスムスについて:Kwashiorkor ,Marasmusクワシオコールは主にタンパク質の摂取不足が原因で、顔面や両足に浮腫あるのが特徴的である。また、髪の毛があせて茶髪や金髪に変色し、黒人の場合は縮れ毛の縮れが伸びて髪がぱさぱさになるのも特徴である。マラスムスはエネルギー摂取不足が原因とされ、体重減少が極めて顕著である。

 

 

栄養失調児センターの1週間②-2栄養センター

月曜日:体重測定、診察 プランピー週25袋を配給。給食サービス(ミルク・お粥)

火曜日/木曜日:給食サービスの実施 ミルク 栄養指導及び料理指導。

食事はご飯とスープ(肉または魚に種々の野菜を入れる)で、ご飯にスープをかけたものを食べさせる。

水曜日:病児の診察 HIVの母子感染児、慢性的な栄養失調児

金曜日:CSBの配給 一人当たり約8キロ。給食サービス(ミルク・お粥)

※親または育ての親に対しては、紙芝居を使うなどと工夫を施した栄養指導を定期的に行なっている。

 


自立支援事業・農業

経緯

エイズ患者の生活③-1農業-2の自立は、アフリカ友の会の活動の中で最も重要な課題である。エイズのために失業したり、家庭崩壊をした人々が、ARV薬(抗エイズ薬)を内服することによって体力を取り戻すので、彼らの生活の自立を支援する必要があった。
(エイズは完治しないが、ARV薬を内服し続けることにより体重が増加し、体力がついてくる)
1999年からマイクロクレジット(無担保で少額貸付けを行い商売を支援する)を開始した。
エイズ患者の中から希望者を募り勉強会をして、マイクロクレジットのシステムを理解してもらうことから始めた。
彼らは、雑貨屋・マキ売り・キャッサバ売り・コーヒー売り、子供服の作成など、それぞれのアイディアで商売を成功させた。2009年には、外務省の助成金250万円を得て、参加者を250人まで増やしたが、2013年3月のクーデターによる政変でマイクロクレジットは崩壊した。商品は略奪され、貸付金はすべて焦げ付いた。
それ以来、現在も(2015年8月)マイクロクレジットは凍結したままである。
2010年より、農業プロジェクトを開始した。まずは、エイズ患者さんたちの自給自足を促し、さらには農業による生活の自立を目指すためである。
また、2015年2月からは、クラウドファンディングREADYFOR「内戦後の中央アフリカにて栄養失調児の母たちに農業での自立を!(https://readyfor.jp/projects/tomonokai)」の成立を得て、栄養失調児を持つ母親たちへの農業プロジェクトも開始した。

 

農業プロジェクトの詳細

当会の現地職員より、農業事業管理担当者を選任。農地の選択→農地の賃貸契約→整地→耕作者の募集を行う。③-2農業
開墾は仕事の無い若者を日雇いで雇用するなどして、数日で行なう。
農業指導は現地の農業指導者を雇用し、耕作者に対して実施する。
また、耕作者同士で話し合いを行ない、耕作者メンバーの中での責任者を決めてもらう。その責任者を中心に自主運営を行ない、たくさんの収穫を目指して皆で頑張っていく。
農地の契約期間は2年間であるが収穫のために3か月が追加されるので、実際は2年3か月の契約期間となる。農地借地に係る借地料はアフリカ友の会が支払う。
耕作に必要な農工具(鍬・鎌)及び、苗・種も最初のみ当会より支給する。また、農業を始めるにあたり、耕作者に対して最初の1~2か月間のみ経済的支援のための生活支援金を援助する。
その後は自立に向けての患者たちの姿を見守る。エイズ患者は体調が悪い時もあるが、家族の協力の下に皆が頑張っている。
耕作者の義務として、責任者のもとで、同じ農地の耕作者は毎月会議を行い、作付する農作物の選択などについての情報を交換する。収穫量はすべてきちんと報告する。内戦で耕作が出来ない、作物が全部盗まれる、などの影響もあったが、2015年9月現在、3か所の農園(約7ヘクタール)にて、農業プロジェクトが実施できている。

 

自立支援事業・洋裁教室

経緯

女性のエイズ患者さんたちが、診療所で何もしないでぼんやりと時間を過ごすのを見て、何か彼女たちができることはないかと考えたのが洋裁教室を始めるきっかけであった。
手縫いで小物入④-1 洋裁れの袋を縫い始めた。洋裁を希望する女性たちが50名を超えた。彼女たちの中には、洋裁技術を身につけた女性たちが数名いた。洋裁技術を持つ女性6名を集めて洋裁教室を開いた。
1997年以降は、日本から洋裁の指導者を招き、アフリカ特有の絵柄とカラフルな色を生かして、エプロン、上着、パンツ、ベスト、帽子、ランチョマット、コースターなどの作品を作り、日本に持ち帰りバザーで販売を行った。
しかし、技術を身につけた洋裁師たちは、HIVの感染者であったために次々にエイズを発症し亡くなった。中央アフリカ共和国で世界基金によりARVの治療が始まったのが、2005年であり、洋裁師たちはその前に亡くなった。とても残念であった。
その後、新しい人材を得て洋裁を継続した。
エイズ患者の女性ばかりでなく、栄養失調児の母たちを対象とした「洋裁教室・編物教室・刺繍教室」(国際ボランティア預金よりの支援)も行ない、多くの母親たちが洋裁を身に付けることが出来てきた。
だが、内戦の影響で保健センター内での洋裁活動の実施が困難となった。

 

洋裁プロジェクトの詳細

④-2洋裁洋裁教室は、長年、当会栄養失調児センターの2階の洋裁室で実施していたが、2012年の内戦時からは洋裁師各々の家にて縫製し、当会事務所棟に持参する・・という方法に変わった。
当初から、エプロンドレスやバンダナが主な作品であったが、エプロンドレスの売れ行きが落ち、2011年より新たにエコバックの作成も始めた。
2015年9月、まだまだ内戦の影響でエプロンドレスの為の生地の購入が困難であり、
エコバックのみの製作となっている(生地素材が違う)。
現在、4名の洋裁師がエコバックを制作している。彼女たちが自宅で縫って持参するのを「アフリカ友の会」が購入する、ということである。
購入したエコバックは日本に持ち帰り、バザー等で販売をしている。エコバックは、A3サイズでとても軽く、肩から掛けられるデザイン。
アフリカ独自の多種多様の色やプリント柄の生地でできたこのエコバックは、とても好評で皆様から大変な人気を得ている。